ことばのおと 〜さがちゃんの冒険

なんか生きづらいけど、それでも大丈夫だったと知ってゆく。そんな冒険。

仕事をやめて、本当にこわいことは

 

食堂の仕事のことをまた考えている。

 

去年の12月にこんな記事を書いて

食堂の仕事やめたら何がいやだろうか

その時、冗談めかしてこんなことを書いていた。

sagawatomomi.hatenablog.com

 

>ブログのネタがひとつなくなる

 

その時は、食堂の仕事であーだこーだ言ってはいるけど

そのおかげでネタになって書けることがあるから

それがなくなるのは寂しい、というニュアンスだった。

 

でも、これは冗談ではなくて

本当のことかもなと今、思っている。

 

ネタになることがある

というのもないわけではないけど

それより

 

一人で集中して

静かに身体を動かしている時間の中で

何かをひらめくことがある

※今働く食堂の環境は、基本一人作業で、来たお客様にその日の定食を渡すというシステム

 

ということなのだ。

食堂の仕事をやめることで

そこから得られる「ひらめき」を失うのがこわかった。

何かをひらめくかもしれない時間を失うのがこわかった。

今、けっこうなひらめきを食堂に頼っている。

 

それがなくなると困るのだ。

文章を書くことだって、そのひらめきと両輪だ。

 

私は文章を書いてる間、おもしろい。

でも、それがなくなって

毎日が悶々としてつまらなくなったらどうしよう。

 

幸せっちゃ幸せだけど、どこかぼーっとして

あれ?なんで生きてるんだろうって思うような

そんな日々にまた戻ってしまうんじゃないかって

それがこわい。嫌、というかこわい。

 

  

目的に向かって

一人で静かに身体を動かせる時間。

 

 

食堂の仕事はシフトで出勤しないといけないから

ある意味、強制的にそういう静かな時間をつくれる。

 

これは家事も同じことで

部屋の床に箒をかけたり

シャツにアイロンをかけたりする時

私は一人静かに、じんじんと熱が上がっている。

そういう時が、たまらない。

 

結果、部屋がきれいになって私がうれしかったり

シャツにアイロンがかかってはやおに喜ばれたり

そういうのは「おまけ」みたいなものだ。

そりゃ〜、おまけがほしくてやる時もあるけど。

そんなのいちいち考えてないけど。

 

 

運動は別にしたいと思わないから

掃除するとか料理をつくるとかなんでもいいけど

何か目的があった方がいい。

 

頭の中が半分空になって

目的に向かって身体を動かして

そうして静かに熱が上がっている時

私の中に何かが入ってくる。

 

 

 

食堂の仕事に変わって

なにか、家で自分がそんな風になれることを見つけたい。

庭仕事には今そんなに興味がないから

できたら家の中でできることがいい。

ハンドメイドでものをつくる、とかだろうか?

まだわからんけど、そういうのできたらいい。

 

 

 

 

食堂は結局のところ

この時間にここに来ないとダメですよって

時間と場所の拘束があるのが嫌なのだ。

しかしそれでももう少しお世話になるので

頭を下げるm(__)m

 

 

 

 

毎日、家中に箒をかけるみたいに

洗濯物を干すみたいに

玉ねぎを刻むみたいに

から揚げをひたすら揚げるみたいに続けられること

そんなこと、見つかったらいいな。

 

 

気楽にやる。でもちょっと、燃えてもいる!

 

 

 

絵日記 〜こづかいゲットさくせん

 

※(さ):佐川、(は):はやお でお送りします

はやお!今日は北海道物産展に行くぞ。

なんか買ってくるもんあるか? (さ)

 

イカ明太・・・ってお前そうやって

お金をせびるつもりだな? (は)

 

わーーー、バレたーーー!笑

なんでー!?!?!?! (さ)

 

アホだから。はい1,000円。

あ、こいつ1,000円かよって思ってるな? (は)

 

またバレたーーーー! (さ)

 

 

 

 

 

 

 

 

北海道物産展にはイカ明太なくて

結局、物産展では何も買わずに

ミスドポン・デ・リングのプレーンを買った。

明太は九州の管轄だから、北海道物産展にはあまりないらしい。

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おいしい。ポン・デ・リングのプレーン。

 

 

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描くのは意外とむずかしい。

 

 

 

自分ができることは人もできて当然と思うのやめる

 

私は

自分ができることは人もできて当然と思いがちだ。

 

 

例えば

1時間で20人前の定食をつくれる、とか

人の顔を見てすぐ絵が描けるとかは

私にできることだけど

そんなことはみんなできると思ってしまう。

つい。

 

えーすごいじゃないですかー!

とか言われても

なかなか受け取ることができなかった。

 

 

 

 

さて

20人分のごはんをつくるには

ざっとこんなことが必要だ。

 

どのくらいのお米を炊くか

つくりやすいおかずは何か

それにはどのくらいの材料が必要か

お味噌汁の一人当たりの分量は

それに対する適当な鍋の深さは 

 

それから

冷凍野菜を使うか、生野菜を使うか

おかずに使う野菜の早くて適切な切り方は

お肉の下処理はどうするか

具材への火の通し方はどうするか

どの調味料をどれだけいれるか

お皿はどれがちょうどいいか

 

 

などなど。

適当に思いつくままに書いてみた。

 

1時間で20人前の定食をつくるとは

こんなことを瞬時に判断して動くということ。

 

って、いざ言葉にしてみると

けっこう、大したことだ。笑

 

 

それでも

どうせ、こんなことができても・・・

と、以前はよく言っていた。

 

劣等感があった。

ついでに視野も狭い。

 

 

 

これで大してお金を稼いでいるわけでもないし

すっごいやりたくてやってるわけでもないし

ただできるからやってるだけなんですよ。

こんな自分がやれるようなこんなこと、

みんなできますがなって感じだ。

  

自分をおとしめて。

そんな自分が、かろうじてできることまでおとしめて。

 

加え、こんなこと

みんなできることですよ

とぶん投げるように言う。

 

 

 

いや、できねえから!笑

いちいち他人ができないの不思議がるのヤメローーーー!

 

 

 

他の人はできるのかもしれないし

できないのかもしれない。

それは、知らない。

 

私は「ただそれができた」というだけだ。 

それはおとしめることでも、逆にすごいことでもない。

ただそれは、自分にできることだから

やろうと思えばやれる、というだけのこと。

 

そう考えたら

自分ができることを、プラスもマイナスもない

「ただできるからやっている」

「できるけど、やらないこともある」

という、真ん中のところに置き直せる気がした。

そこに、人は関係ない。

 

 

 

 

 

 

最近、さくらももこさんの『コジコジ』を買って読んだ。 

コジコジ、よかった。おもしろかった。

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コジコジは、空をビューンと飛べる。

空を飛ぶことができる。

 

私は最初から20人分の料理をつくれたわけじゃないけど

さほど苦労もなくできるようになった。

今は、最初からそれが自分に備わっていたかのように

自然なことのようにやれる。

コジコジが空を飛べるように、って言ったらちょっと言い過ぎだけど。

 

 

私にはできない。

コジコジのように空を飛ぶことも

はやおのように毎日会社に出社することも。

だから、私は私にできることを選んでやる。

こうして書くこともそのひとつ。

 

 

 

 

 

できる。できない。

それは幸か不幸かわからない。

でもきっと、幸も不幸もない。

 

 

 

 

この人の普通、あの人の普通

 

このところ

私は人となんかずれてるなあと思いつつ

今日も食堂でせっせと働いていた。

 

 

この食堂で働いて1年が経った。

今では食べに来る人の顔も覚えて

どの人がどのくらいご飯を食べるかも覚えた。

 

いつも少しでいいと言う人。

いつも普通盛りを頼む人。

いつも大盛りを頼む人。

 

 

 

そして同じ普通盛りでも

人によっては盛りを加減したり

またある人には

ちょいと多めの普通盛りにしたりしている。

 

そんなことを自然と考えながら

自分がごはんをよそっていることに

今日、気がついた。

 

目の前に立つお客様の顔を見て

ついつい、やっちゃってたことだった。

 

 

この人の普通盛りは、気持ち少なめ。

この人の普通盛りは、ちょっとだけ多め。

てな具合に。

 

普通盛りはぴったり何グラムと決められてたら

こんなこと、きっと考える余地もないんだろうけど・・・。

 

人によって「普通」はちょっとずつ違うんだよねって

そんなことを考えていたら

 

 

 

 

あっ、普通ってピンポイントじゃなくて

ゾーンなんだね!?、ということに思い至った。

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こんなこと、もしかしたらみんなとっくに知ってるのかもしれないけど・・・

 

普通ってピンポイントなものじゃないのね。

ゾーンだったのね。

 

え〜?そうだったの〜?もっと早く教えてよ。

って感じだ。

 

どっかずれてる私は

ピンポイントな普通に合わせなきゃ!

じゃなきゃ変な人って思われちゃう。

えっでも、この場合の普通ってなんだ?

とかって時々、焦ってたよ。

 

 

でも、自分が思っていたよりも

普通って幅があって

もうちょい気楽なものだったのかもしれなかった。

なーんだ、って感じだ。

 

そうして、これは私の「普通」の捉え方だから

まだ誰かの「普通」とは違うのかもしれないけど

それは考えないことにした。

 

 

「普通」の定義が進んでうれしい^^

知ってたら、合わせる時も楽だから。

 

 

 

あれ、でも普通ゾーンが

どっからどこまでか知っとかないと

結局・・・いや・・・もういいや知らん。笑

 

 

 

 

 ・・・・・・

 

そして

そんなことすら分かってないのが 

ずれている人、ということなんだろうなあ・・・^^;

 

 

 

はやおは会社に行き、私は遊びに行く

 

はやおは毎日、平日は会社に行く。

 

私は平日、食堂の仕事がある時もそうでない時も

ルーティンの家事(部屋の箒がけ・洗濯)だけはする。

 

 

仕事がない時は家でブログを書いたり

ちょっと凝った料理をつくったりして一日が終わることも多いけど

外に遊びに行くことも、たま〜にある。

 

 

赤坂の豊川稲荷にお参りに行ったり

新宿に免許更新行ったついでに

紀伊国屋で本を買ったり、伊勢丹で腕時計を見たりだ。

 

ちょっと変わったところだと

死んだ祖母に会いに青森の恐山に行ったり

占星術の鑑定を受けに銀座に行ったり

そんなところか。

 

 

でも

私がどこに行っても、何をしてきても

はやおは何も言わない。

 

 

私→今日は◯◯に行ってくる!

はやお→はい、行ってらっしゃい。※はやおはこれから会社に行く

 

私→今日は◯◯に行ってきた!

はやお→そうか。楽しかったか?※はやおは会社から帰ってきた。

 

 

基本的には

行ってらっしゃいと、楽しかったか?これだけだ。

一緒に暮らして2年経ったけど、ずっと変わらない。

 

はやお自身がどんなに忙しい時でも

「はい、行ってらっしゃい」だ。

 

ありがたいけど

えっ、えっ?怒らないの?って

いつもびっくりしてしまう。

 

例えばこんな。 

 

 

 

俺はこんなに仕事してるのに

いいよなお前は遊んで

 

俺はこんなに仕事してるのに

お前も我慢しろよ

 

 

そう言われるのが私の古い常識だったから

どこかで私は期待してしまっている。

 

そんなん言われたら本当に嫌だなと思うくせに

それはそれで安心するというのが

あるのだろうと思う。

 

 

そうか。楽しかったか?

 

なんて、文字通り「ありがたすぎる」のだ。

めったにない。

そんなの毎回言われるなんて、ついていけない!

 

不思議すぎて

私のこと怒らないの?って

ときどき、訊いてしまうくらい。

 

 

 

 

そしてなぜか

はやおは我慢して働いてることになってるけど

本当に彼は我慢して働いてるのか? 

確かめたくなった。

 

 

 

今日昼過ぎ、はやおが仕事に行く前に訊いてみた。

 (午前中は家で仕事してたのだ)

 

 

 

「はやお、仕事は楽しいかい?」

 

「楽しいよ〜、体はつかれるけど。そして最近仕事多すぎだけど(笑)」

 

 

と即答。

それから、私が何してようがあまり興味がないみたいだった。

 

さがちゃんのお金、さがちゃんがどう使おうが勝手でしょ。

とも言っていた。

きっと私の時間についても同じように考えているのだろう。

 

 

 

 

はあ〜なんだかなあ。

勝手に怒られると思ったり

勝手にありがたがったり

毎日ひとりコントで忙しい。

はやおは、そんなことに全く興味ないのに。 笑

 

 

 

 

 

俺はこんなに仕事してるのに

お前も我慢しろよ

 

もうこの古い常識捨てる。

はやおは我慢して働いてるわけではなかったし

それどころか、仕事するのが楽しいらしいよ。

そして私に興味もない。笑 

 

はやおが自分のお金と時間を

自分でどうするか決めて使うように

私もそうしてよかった。

誰かに怒られる筋合いはないことだった。

 

 

 

 

はやおは会社行く。

私は遊びに行く。

はやおは家賃払う。

私ははやおのご飯をつくる。

はやおは腕時計見にいく。

私は食堂の仕事行く。

 

 

そして我慢であってもなくても

自分で選んで、自分で決めてやっている。

そこは忘れないようにしたい。

 

 

 

ここに居さえすれば、評価してもらえる

 

食堂の仕事やめたい><

と言いつつ続けてるのは

もちろんお金が安定して入るってのもあるけど

 

 

「ここに居さえすれば、評価してもらえる」

 

 

っていう意識が

地味ぃ〜に、しかしかなりでっかく

切り株の根っこみたいに掘り出しづらい感じで

自分の中に埋まってるからだ、と思っています。

 

数年前に農業させてもらってた時も

NPOでアートプロジェクトの仕事させてもらってきた時も

愛嬌と折々で働く勘に助けられ

なんとか渡ってきたようなもんなのです。

 

何より、まわりの人!がヨカッタ!

よくぞこんな私と付き合って、よくぞ助けてくれたなあ・・・

と言っても言い尽くせない人ばかりがまわりにいてくれた。

 

 

愛嬌と勘って

それはそれですごいことなんじゃないか?と

言ってくださる人もいるのかもしれないけど・・・

そして、ここまで私を運んでくれたそれらに

感謝をしないといけないんだろうけど・・・

 

 

私にとってはそれはないも同じで、能力がほしかった。

なにかを職人レベルでつくれるとか

複数のことを同時に素早く処理できるとか

ピアノを弾かせたらスゲーうまい、みたいな。

そういう、分かりやすいやつ。

それでお金をまわせるようなやつ。

 

 

 

佐川さん佐川さんと

親しく呼びかけてくれた人の声は今も残るけど

それとは全く別の層で

「あーあ、私ってなんにもできねえなあ」

と思ってる自分もいて。

 

 

 

 

 

 

 

でも、今の食堂はわかりやすいのだ。

本題に戻ってこられてよかった・・・

 

 

私は、時間内に決められた人数の料理をつくる。

それは生姜焼きだったり、カレーだったりする。

それをとにかくつくる。

 

ちゃんと中まで火が通ってて

味がよくて、温かい料理を出していたら

アラ不思議。

 

料理上手ですね、おいしいですねと

ほめてくださるお客様が現れた。

 

時には「私の料理なんてどうせ家事」と

卑下していたこともあったけど、おかげで自信がついた。

 

 

  

私、ここで料理つくる分には申し分ない!

☆-ヽ(*´∀`)八(´∀`*)ノイエーイ

と。

 

 

 

でも、私のこの自信って表裏一体みたいで

ここ辞めたらもう評価してもらえないかもしれない

やっていけないかもしれない、怖い。

 

っていうのと、くっついている。

そして、今すぐムリに剥がそうという気もない。

 

 

 

 

 

ここに居さえすれば、評価してもらえる

 

って安心感はまだもうちょっと、手放さずにもっておきたい。

せっかく手に入れたんだ!って子どもみたいに叫ぶ自分もいる。

すぐ手放すには、まだこわい。

 

きっとまた私は

やめたいとかブーブー言うんだろうけど 

もうちょっと自分が大丈夫になるまで。

 

 

 

ほんとは、もっと時間に縛られず

もっと夢中になって働いて

それで人の役に立って、お金をまわす

そういうのがしたい。

 

 

 

 

 

 

 

その時がきたら、どうせ飛び立つ^^

大丈夫なのだ。

 

 

 

絵日記 〜こだわりの強いアスペがいるぞ

 

はやおを描きました。

私に向かって言ってます。笑

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アスペルガーって診断されたらちょっとおもしろいなと

(おーい私も仲間だよ〜って、友だちに手を振れる感じ)

病院で診断受けてこようかとちょっと思ったけど

そもそも病院行くの面倒だし←最大の理由

たぶん軽度すぎて障害者割引的なのもつかないから

行かないだろうな・・・。