ことばのおと

身体に響くおとを、ことばで辿ることを試みるノート。

3年間の円坐をたどる、ミニカンをたどる。

2014年から今まで3年間学んできた、ミニカウンセリングや円坐を気の済むまで学び直したいって欲求が出てきて、いまは自分が守人として坐った円坐の文字起こしをしている。

 

それはずっとやりたかったけど、やってこなかったことのような気もして。やりたいことををやらないことで、ずっとそれをやりたいって言ってられるような安心感もあったけど、そこにもういたくなくなった。

 

元は2012年の学生時代、『かかわり方のまなび方(西村佳哲著)』って本の中で出会ったくにちゃん。[人の※]話を’聴く’こと・・・(略)は、資格や技術の問題ではなく、態度や生き方、存在の仕方の問題だとその本の中で言っていたくにちゃん。本のなかの人に過ぎなかったのが、なぜか、地元の福島県で2014年に出会うことになったくにちゃん、もとい橋本久仁彦さん。私はその人に大きな影響を受けた。文字通り、私の影で響いている人だと思う[※佐川補足]。

 

ミニカンや円坐の場で、くにちゃんと、そこで出会ったひとりひとりと座ってきた時空間ってなんだったのか、それが知りたい。そこで、どういう精度で、次元で、人ひとりの言葉や、言葉になる以前のものが聞かれていったのか。あるいは落ちていったのか。その過程をたどり直したい。

 

とりあえず、この期間は3ヶ月間(いま3日目)と決めたので、その間のお金稼ぎを、結婚相手のはやおに改めてお願いした。好きにしろという。はやおありがとう。

 

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(2017.4.22 どこかのエスカレーター) 

金子富之さんに再び会いにいく

4月5日、ミヅマアートギャラリーに金子富之さんの「荒ぶる神々」の展示を見に行った。

 

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行こう行こうと思っていたけど、この日の美容室の予約がたまたま取れなくて、それで展示の初日のオープニングレセプションに行ってみるかとなったのだった。はやおにも、定時に仕事終わってくれませんかとお願いして、あとで合流した。

 

17時30分。初日だし、金子さんご本人もいるかなと思い、ミヅマの人に尋ねたら、いた。いらした。金子さんは地球で生き延びている宇宙人みたいだと思うけど、今日はどこの星からいらしたんですか?と逆に金子さんから聞かれ、慌てて、東村山星からですとつまらないことを言ってしまった。会うというより、邂逅したという感じがいつもするのが不思議で、こんな人にはあまり会ったことがない。

 

金子さんの絵(龍とか神さまとか)とドローイングノートに加えて、和室でのインスタレーションもあった。部屋には刀とかカンボジアの呪物的なものが置いてあって、花も活けられて、謎の土着感。ここの写真撮影は不可だったけど、それでもこっそり撮っておけばよかった。あのインスタレーションに勝手に名前をつけると「なにか大きな生きものの内臓のひとつ」だと思う。

 

金子さんは絵の作品もいいけど、ドローイングノートが好きで、ずっとノートの前にいた。2014年度に会津で行われた森のはこ舟時代に描かれたメモもあって、森のはこ舟とか、自分の名前も出てきて、ひとり笑う。行く先は歩いている内に流れ寄るのだという、ノート中の言葉が気に入って携帯にメモ。

 

19時30分に到着したはやおと絵を読むように見て、金子さんにあいさつ。レセプション終了の20時過ぎ、慌ててギャラリーを出た。神楽坂をぶらついていたらミヅマの方とすれ違ったらしく、声をかけてもらって一緒に飲んだ。いろいろと思いがけない1日だった。

 

次の日は、一日中ボーッとして(飲み過ぎたわけではない)、起きているのに眠っているようだった。2時間30分も絵を熱心に見ていて、なにかにあてられたのだろうと思っている。

 

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(2017.4.5 「火喰い加勢鳥」の前で)

金運が上がりそうな鳥だった。早速sold out の文字がついていたので実物に会えなくなる前に。隣は金子さん。

 

 

好きじゃないと思うやつのこと

今朝は、はやおが間違えて朝5時にかけた目覚ましの音で起きて、寝直せなくなった。というのも、これを描こうと、あれを描こうと考え出して止まらなくなった。意地で目つぶって7時10分に布団から出たけど、今思えばそのまま5時に起きてしまえばよかったと思う。

 

目をつぶりながら、好きじゃないと思うやつのことを考えていた。友美の人を評価する基準は、3つしかないねとはやおによく言われるけど、本当にそうで「いいやつ」「悪いやつじゃない」「好きじゃない」この3つしかない。

 

好きじゃないやつは、なぜ私にとって好きじゃないやつになるのか考えた。一言で言ったら、その人の前で自分を抑えているからだと思ったら、とても納得した。その人にちゃんと言いたいことがあるけど、上司だから、セラピストだから、アーティストだから、年上だから(立てねばいけない・・)と自分を納得させて、言えないことが溜まっていくうちに、その人を好きじゃなくなるんじゃないかと思う。これは、相手に問題があるのではなく、ある意味で私に問題があるのではと、にらんでいる。

 

私に問題があるというのは、私がダメだという意味でなくて、その上司や、セラピストや、アーティストの前で、それを言わされてしまった感・思わされてしまった感が強く残ってむかついている、ということなのだと思う。その時は別になんとも思ってなくとも、あとからその人をじわじわ嫌いになる。それで結果的に、もう一緒に仕事したいと思わなくなったり、FB友だちをやめてみたり、連絡を取らなくなったりする(それはそれでいいと思っている)。その人が好きじゃないというのは、その人の前で、そんな風にしかいられなかった自分が好きじゃない、と言っているのと同じだと思った。

 

ある時、どちらかといえば好きじゃないグループにいた人に、自分の気持ちを正直に伝えた。「店長、ここのパンは(パン屋でバイトしてた)つくっていて、あまり美味しいと思えないので、お客さんにも勧める気持ちが湧きません。そんな気持ちが溜まってきて、もう辛いです。」「◯◯さんのこと、暑苦しいと思ってましたけど、その暑苦しさ、いまは嫌じゃなくなりました。」「◯◯さんのことは学生の頃、週イチで通ってたセラピストと顔とか雰囲気が似て、勝手に投影して、怖いと思ってました。」

 

それらを言ったその瞬間から、その人のことを好きじゃないと思うことは、私の中で終わった。パン屋での一件は、だからもっと美味しいパンをつくりたいという気持ちもあったのだけど、バカにしてるのかとか、謝れとか、訴えるぞとか言われ、言葉が通じなくなってびっくりした。もう仕方ないけど、ちゃんと言えて辞められてよかったと思う。◯◯さんふたりには、全然親しくもなんともない中で唐突に伝えた。ふたりはアハハと笑ったり、投影料もらうぞ!と私を脅したり(笑)していたけど、これをきっかけに対話が始まっていったことが、今思い出しても感動的な感じがする。そして、キャッチボールができる仲間って、こういうことを言うのかと思ったりもした。ぶつかったら痛いけど、ぶつけた方も痛いけど、それでいいじゃないかと思う。

 

ところで、脈絡はないのですが、自由に使えるお金がもっとほしいこともあり、いま仕事を募集中です。面白そうなことで、佐川友美として生きていけることをやりたいです。そういった方がいらっしゃいましたら、まずはFB経由かメールでご連絡いただけると、とてもうれしいです。

 

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(2017.3.2  田無神社  神木)

はやおの弁当をつくるようになった。

結婚して、福島県会津から、東京にまたやってきて約半年。

 

はやおは私を野放しにしていて、私も毎日、自由研究するように暮らしていますが、ここ2日ばかり、とつぜん朝7時に起きてはやおの弁当をつくるようになりました。

 

東村山の冬に慣れず、寒くて眠くて朝10時まで寝ていた、朝出ていくはやおを布団から見送っていた私が、弁当をつくりたくて、眠くても朝7時に起きるというのはすごい変化だなと思って自分を静観しています。自分でもわからないけど、寝るより朝起きてとにかく弁当をつくりたい。

 

自分でも何故だかわからなかったのですが、思い当たる節がありました。夕ごはんの時は、いつも「今日は昼はなに食べたんだ?」とはやおに聞いていたこと。返ってくるのはセブンのタンメンとか、店屋のラーメンとか、そんなんばかりで。セブンのタンメンはおいしいし私も好きですが、それが毎日ってどうなん?という思いが(しかしその時は、そこ自覚してない)、花粉を浴びるように溜まっていったのではと思います。そして、ついに花粉症を発症するように、弁当をつくることを始めてしまったのだと。

 

はやおには、生きてほしい。あと、痩せてほしい。生きてほしいって、なんでここでこの言葉がでてくるか、自分で描いていてわからないのですが、確かにそう思うので描いておきます。はやおは今もかっこいいと思うのですが、それを手伝いたいような気もしています。もう少しだけおなか周りを痩せてほしい。

 

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(2017.2.3 国分寺駅

 

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(2016.11.19 西友

ことばのおと、描きはじめ

ここのタイトルはtumblerに引き続き、「ことばのおと」。説明は「身体に響くおとを、ことばにすることを試みるノート」。

 

いつも描くことだけ決めて、PCの前に座る。その時点では「なにか描きたい」ことしかわからない。それは自分の内側の、遠くの方で音が鳴っているのは分かるけど、それがなんの音なのか、キーボードを叩くまでわからない感じで。

 

描く内容はだいたい、自分が頭で考えていること(こんな内容描きたいなと思って向かうと、だいたい進まない)とは全然ちがう。描けないなあと思って、そのまま描き続けると、手と頭が連動し始める。自分の身体に響く音を、だんだん正確に出し始める。描くとその音がより聞こえてくるような、自分がよく見えてくるように思う。

 

描くという動作の結果、文章ができていると、いつも思う。「結果」の文字通り、植物が実を結ぶようにできてしまったような。書きたいことを書いているけど、自分で書いた気はあまりしなくて、元からそこにあったものが文章と呼ばれる形で見えるようになっただけというような、不思議な感じ。そうなるようにしかならないもの、感がすごくある(花は花自身で、咲いたとか実を結んだとか、あんまり思わないんじゃないかと思う。咲いたのを見ている人がいうだけで)。

 

それでもまあ、自分が動きたいように、身体の、手を、足を、首を・・・動かしたその結果できたものの一つが、私にとって、描くが降りつもって文章になったもので、それは、よかったらどうぞ・・と差し出したくなる。

 

ある意味で、自分の正体を見たくて、描いているというか、生きているんだろうと思う。その正体をさらしたままで、私は誰かと一緒にいたい。

 

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 (2017.3.7 新幹線)