ことばのおと

落ちてこぼれた一人がひとり。拾った音を煮詰めたら、なにが書けるんだろう。

ぼくは人に関心があるー橋本久仁彦さんの視界から

 

先月、「私は人に関心がない」という記事を書きました。 

sagawatomomi.hatenablog.com

 

その中で「人に関心がある」という感覚が、本当にわからないから、それを言った私の憧れの人にいつか聞いてみたいと書きました。

 

いつかじゃなくて、もう先月に、その方に聞きました。

 

そしたらやっぱり、よかった。いいなあ〜と思う言葉が聞けた。

 

橋本久仁彦さん。

 

大阪在住の橋本さん(60歳・男性)は、高校で「教えない授業」や、大学でカウンセラーなどをしたのち、現在は縁あった方と円坐や影舞などの、人と関わる活動を西日本中心に行っています。

 

※ちゃんとしたプロフィール・橋本さんのサイトに飛びます→http://enzabutai.com/profile.html

 

 

28歳の私と、60歳の橋本さんの視界はあまりにも違いすぎて、すべては理解できないけど、それでも私の一生の財産になるような言葉だなあと思ったので、これは残して時々読みたい、そんで縁のある人に読んでほしいと思って、やりとりした時間(30分くらい)を文字に起こしました。

 

 

私にとって、憧れの人というか、老師というのか、いつまでも生きていてほしいなあと思う人です。この人がまとう空気を学びたくて、時間と場所を一緒したくて、4年前私が福島県で働いていた頃から、ちょいちょい大阪行っていました。

 

 

 

見出しの赤字以下から始まります。

たいへん長文なので、読みやすいように赤字で見出しをいくつか入れました。

 

 

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2018年8月30日、東京のGさんの家

数名の仲間うちで集った、とくに目的もない寄り合いのような場で。

 

私、人に関心ないわ。じゃ、何に関心あるって言ったら自分のことですよ。

 

佐川

「私ちょっと、くにちゃんに聞きたかったことがあって。くにちゃんが『俺は人に関心ある』って言ってて、で、前に仕事辞めたときにノートに自分の大事にしてるもんいろいろ書いてって、最後に残ったのが人だったっていう話も覚えてて。私、無意識に自分もそうなろうとしてたとこがある」

 

橋本さん

「人が好きになりたいと?」

 

佐川

「人に関心あるっていいな。だから円坐とかもできるんだと思ってた。でも私は最近、人に関心ないって言った方がすっきりしちゃう感じがしてて。でも、さっきTさんのことは気になって。個別個別でこの人気になる、みたいな人はいたりするけど、人に関心があるっていうのはよくわからない。だったら私ないわーって言っちゃえる感じがある。人に関心あるっていうのを具体的に聞いてみたいです」

 

橋本さん

「いま、さがちゃんの言葉の中で辿ってていちばん力があるのは『私、人に関心ないわ』。言っててもすっきりしてるでしょ。そこが大事ね。私、人に関心ないわ。じゃ、何に関心あるって言ったら自分のことですよ。自分には関心あるね。はやおさん(佐川夫)とどう付き合っていこうかなあとか、子どもどうしようかなあとか。自分のことはめっちゃ関心あるわけだ。でも、人に関心って言われたらないな。他の年寄りの先輩方の話聞いてもへ〜と思う感じで、あんまりピンと来なかったりするじゃない」

 

佐川 

「ときどきあるかな。ときどき、よくわかんないってときもあるし、わかるときもある」

 

橋本さん

「基本そこでよくて、さがちゃんは今自分の探求してるじゃない。子ども持つのかどうすんのかとか、いろいろ自分のことで考えることいっぱいあるね。私どう生きればいいんだろうっていう風に思うじゃない。私とこの社会と、どう関係つければいいんだろう。私とはやおさんとどう関係つくればいいんだろうとか、よそは離婚してるけどうちは大丈夫かしらとかいろいろ思うじゃない。で、そういう自分を考えることで心はスペースいっぱいなんですよ。それはそれでぼくいいと思っててね。で、ぼくはこれから嫁さんとどう生きようとか考えることないのね。うち、子育ても終わっちゃってね。これから仕事どうしようかなーとか、家借りるならお金いるなーとかって話もないわけ。家、おかげさんであるしね。いま気になってんのは登記どうしようかなってくらいだ。お袋の名前になってるから俺にせなあかんのだけど。兄弟がいまいち歩調が揃わなかったり、そのままにしといたろかなーって思ったりとか。ま、考えたら悩みって今それくらいのもんだ。あとは俺とフェンスワークスの関係ってどうなってんだろうってのがちらっと。で、あとは、あんまりずっと毎日考えるようなことがないわけよ。おれどうしようかなーってのがあんまない。あんまりないっていうのはどういうことだ。なんか、Sが呼んでくれたからまた行こーみたいな。なんにもないところで来てるわけだ。ここへ来るのも、Gの『今のくにちゃんを聞きたいから楽しみにしてます』って言われたら、一応その言葉を信じるから。そうか。楽しみにしてくれてるなら行こかなって思うわけじゃない。そん時に、ここでもらえる謝金はどれくらいで家のローンにどれだけいるかなーとか、嫁さんが金持ってこいっていうからここでもうちょっと持って帰らなあかんかなーとか、そういうことを悩まなくて済んでるわけ。しかも60まわった。60まわってみ〜いっぺん。想像つくまい」

 

60まわると・・・教えたろか?先ないって感じすんねん。

 

佐川 

「(自分の年齢の)倍だからなあ」

 

橋本さん

「きみの歳からしたら60まわってる奴なんてもう死んでるやんて思ってるやろ。終わってるなこの人って」

 

佐川 

「そこまでは思ってない」

 

橋本さん

「でも大分思ってるね(笑)。60まわったらこんなんなんねんなーみたいに、遠いじゃないですか。60まわると・・・教えたろか?先ないって感じすんねん。うちの親父は早う死んでるし。なんとさくらももこ53で死んじゃった。ショック!53で死ぬんかーい。いろいろ描きたいこともあったろうに、値打ちのある人が死んでねえ、おれは60になってどうするよーと思ってる時に。若い時みたいに本書くとか大学教授になるとか、社会的に有名になるとか、若い時ってそんなん夢に思う時あるじゃない。課長になるとか部長になるとか。男はあるわけよ。はやおさんに聞いてごらん。出世しようと思ってるかどうか。どの程度お金儲けたいと思ってるかとか、ええ車ほしいと思ってるかとか。おれ、ほしい車もないわけよ。あと残り人生着々と減ってる。どうしようかなーとかって思っている空っぽな感じね。やろうと思うことはぜんぶ若い時の昔の記憶の中に、うしろへ過ぎ去ったわけだ。60まわって、おれ健康診断も行ってないんですよ。何人かの人に勧められた、人間ドッグ行きなさいとか言われたけど、結局、弟の話聞いたりしたら、こわーとかって思って。無理やり飲まされたりとか、いやで行ってないの。いつまで生きるか、ぼく強い自信持ってるわけじゃないの。28でね、残りの人生考えてカウントするってないじゃない。そんなこと考えずに今から子どもつくろーって思ってるわけだから、10年、20年、30年は生きるつもりで考えてるでしょ。その感覚がぼくないんですよ。いちばん近いのは去年死んだお袋の顔とか、ぐらい。ああ俺もお袋のそばにおるなあとか。仕事さえ、死者のところに行って、広島の原爆のところへ行って仕事したり、そういう仕事になってるじゃない。がんばる先があんまりない感じなの。体を安楽にさせるためにいい家がほしいとか、あるいは肩書きとか、ちょっと有名になってみたいなとか、おれの仕事みんな認めろよーとか、そういう感じが薄れてるの。40代くらいの時はおれあったわ。この大学あほやな。おれを使えば大学変えれるのにって。すげー傲慢だけど自信があったんですよ。おれはやれるってね。そういう気持ち、60まわるとね、枯れちゃった」

  

人が好きっていうのは、愛していますじゃなくて、かけがえないなーこの人っていうかね、どういう感じでしょうかね。あんたが好きではないですよ。

 

佐川 

「枯れる?」

 

橋本さん 

「日頃ずっと思ってるようなね、思いは実現するみたいなのあるじゃない。引き寄せの法則みたいな。あれなくなったわ。引き寄せなくても、おれ引き寄せられていってる感じがあって。もうすぐデッドエンドが見えてるでーみたいな感じなんですよ(笑)。 あーこのままなあ。まあまあこんなもんかーと思って。一応娘もちゃんと育ったし。息子も一応まともに育ったし、まあいいかーと思ってね。で、ぼくの問題意識はどう死んでいくかっていうところにあるの。ひとりで死んでいくのは間違いない。だれも一緒に死んでくれんからね。ぼく先の方に何かがある感じがないわけ。もう結婚もない、子育てもない、家もっぺんつくるもない。むしろどっちかと言えば、家どう処理するかだ。おれが死んだあと。あの大阪の家ね。登記しとかんと娘が苦労するのかなあと。娘が一所懸命、ぼくの兄弟にね、印鑑証明もらいに行ったり。これは大変だなー、おれの代にしといたらないかんなーって思うけど、腰が重くてあんまり動けない。自分がいなくなったあと、どうするかってのが気になってる時なのね。で、そういう状況のぼくを呼んでくれる人がいる。くにちゃんの話すこと聞きたいと、Sとかね、呼んでくれたりする。で、そこでSを通じて何人かおもしろい、おもしろいっていうか、会ったことない人らが来てて。そしてそういう場だからこそ、今まであんまり人に言ったことないんですけどって、人に言ったことない話をする。人に言ったことない話っていうのは、人がそれを聞いても、ぜんぜん喜ばんていうか、プラスにならんていうか、自分もそう思うので誰にも言ってない話。別に言わんとお墓まで持ってった方が世の中のためじゃないですか、みたいな話をポンと置いてくれたりするわけだ。自分の中の死んだことにしときたい部分とかね、ほんとに死んだ人の話とかね。そういう話聞く時に、ぼくは・・・なんだろ。なんも先に予定なくても、人生ほとんど終わってる感じしてるのに、だからこそそういうことしゃべってくれて。その人らも、その話の中では先に希望とかないわけですよ。こんなことがあって別れてしもたんですとか、ほんとに暴力ふるってやめてしまいましたとか、こんなこと言いたくなかったけど、いま言いたくなっちゃいましたって。そんな時に、一瞬でも生きてんねなっていうか、そうやねっていうか、なんぼカウンセリング受けたりしても関係なく起こってしまう大変なことを、ひとりで引き受けて生きてきたわけじゃない。そういうの見た時にぼくちょっとね・・・・あの、感動するの。いいなあ〜と思って。ぼくもその人のこと好きになっちゃって。そういうこと言ってくれたら俺たちの仲間だねっていう言い方になって出てきちゃうの。もう、もう、最低の状況だ。言わるにも言われない、どうしようもない経験してきて、という時に、なんかこいつ信頼できるなあって。自分に余計な自信とか、私は自己信頼がありますとか、自分で自分のこと肯定していますっていうこと、諦めちゃってる人。そのつもりでやってきたけど大失敗でしたって、凹み切った人。凹み切ったっていうか、自分にそんな夢を持ってない人。この言い方でいいか?そういう夢持ってない、そのままの姿のこと言ってくれるわけ。例えばKさんていう人はね、トイレどこですか?って、相手がそれ丁寧に答えてくれるだけでもうれしくて。その人は泣いたんだなあと思いますよ。そんな話聞けるわけだ。それがぼくね、ジーン・・・とくるようになったの。そういう話ってのは、あるじゃない。交通事故とかでぜんぜん身体動かなくなって、ずーっと長年病院にいた人が、リハビリがようやく成功して10年ぶりにトイレに向かって自分の足でいっぽ歩いた。歩けました!っていう風にして、泣くじゃない。あるいは、ヘレンケラーとかそうだね。わーわーわーとかしか言ってないのにある時、ウォーターとかっていうの教えてもらって、人に話通じた時に全世界が変わるくらいびっくりして感動してありがたかったっていう。普通にやってるただ一つのことがめちゃめちゃ感動したっていう。そんな感じがそういう人たちの間で、ぼくあるの。ああほんとだなーっていうかね。なんていうのか、ただこうして話ができるだけでもいいし、Sのグループの案内をどっかで聞きつけて一緒に座ってくれただけでもなんか、ありがたいなあ〜・・とかって思って。しかも全然いいかっこせずに自分の素のままでいて、ああ来てよかったですなんて言ってくれたりしたら、どんだけうれしいか。素のままでいるだけなのに、ありがとうございますって向こうから言ってくれて、おれがもらってる感じになる。人が好きっていうのは、この感じとセットになってます。人が好きっていうのは、愛していますじゃなくて、かけがえないなーこの人っていうかね、どういう感じでしょうかね。あんたが好きではないですよ。ようこそ来てくださいました、ありがとうございますほんとに、もったいないねーっていうような言葉だね。よう友達になってくれましたっていうか、なんていうのかな、貴重だったり、かけがえなかったり、すぐ家来てよって言いたくなる。泊まってってよって言いたくなるような」

 

佐川 

「そういう言葉とか気持ちを向けていただいたら、私も関心を持てるような感じはあるんですけど。まあ、どっちが先って話でもないとは思うのですが。そういう言葉とか気持ちをいっぱい見せてもらったから、関心を持つようになったのでしょうか。関心を向けるからそういう言葉をもらえるのかな」

 

橋本さん 

「両方だね。おれの方はていねいに人の言葉辿っていきます。そしたら向こうの方も徐々にそういう話をしてくださる。で、ぼくが聞くというよりは、その時にタイムリーに本気でしゃべっている人に応じてしゃべってくれはるから、そういう場面をぼくが一緒さしてもらって、それで聞くことができたっていうのがあるでしょうし。・・・けっこう大事な質問だったね。さがちゃんのいう『ちょっぴり感じるところの方向性』でいいと思いますけど」

 

佐川

「この人、気になるなー、とか?」

 

心がちょっと痩せちゃってね。服がガボガボになっているような感じ。そこへ相手の人が入ってこれるんだね。

 

橋本さん

「さがちゃんは同時にセットになってるの、自分の欲みたいなのが。ぼくの方は自分が役立たずになってきて、他の人のことをすげえなつかしく思うようなスペースができているってことなの」

 

佐川

「くにちゃんは?」

 

橋本さん 

「うん。心がちょっと痩せちゃってね。服がガボガボになっているような感じ。そこへ相手の人が入ってこれるんだね。自分のこと一所懸命考えているとき、どうしよかなーっていうときは相手入ってこないので。この状態で相手のこと好きになるっていうことは、ぼくが好きなんだ、っていうことになっちゃうと思うの。ぼくはあなたのこと肯定していますよ、尊敬していますよって自分が言う感じ。わかるかな?昨日誰か言ってなかったっけ。感情っていうのは変わるって」

 

Gさん 

「うん。若いころ、恋愛とかして人を好きになると、ぜったい嫌いになる、みたいな話をしてて・・・」

 

橋本さん

「あ、感情変わるからね?ザッツライト、その通りです。自分が好きっていうのは、必ず嫌いなのと裏表なので。相手が意に沿わなくなれば嫌いになります。そういう好きっていうのを若い人は使ってるから、ここでおれ・・年寄りがいう好きっていうのとは、やっぱり同じ日本語じゃないんだよね。これ難しいとこだな。自分がちょっと滅んでもらわないとね。ほんっとに、人がそばにいてくれるってありがたいことです。利害なしに。若い人は、やっぱりぼく利害関係だと思います」

 

佐川

「どっちがいいとか悪いとかじゃ・・・」

 

橋本さん 

「ないです。若い時は自分でつくっていかなあかんね。子育てだったり。自分でつくりあげて実現したいものがあるわけよ。人からうしろ指指されないような社会人としての生活とか、夫婦生活とか。自分で自分のこと笑わなくて済むような生き方っていうか、あると思うね。自分で自分に納得したい、わけだね。ちょっとくらいヒントになってるかな?」

 

佐川 

「わかる感じがします。服がガボガボなってるとかは、わかる」

 

きみが60になった時、おれはもうおりませんから。ああくにちゃんが言ってたのこの感じかっていう、そこで出会おうじゃないか。

 

橋本さん 

「そこでわかるか(笑)。なんかねーだから例えば、Kさんもそうだし、Yさんもそうだけど、大失敗してるわけよ。大失敗というか、ほんとにもうおれはダメだっていう経験をしている。そこを抜けてきた。ああ好きだ、自己一致して、共感して好きだ、愛していますっていう表現ではないんだよね。ああ、かなしいなあって感じ。みんなかなしいなあっていう、そういうところへ来てるんだなあ。自分との同一性みたいなの感じるの。同じだなあっていうか。頑張ってしかも思うようにならへんかったんやなあっていうかね。その、歴史的事実の重みみたいなの聞けるわけですよ。そこにおれ、共感じゃなくてね、諦観ていうの?諦めの感じみたいなところで結び合う感じがあって。ダメであればダメであるほど、かなしいなあっていう。ぼくは全然ちがう種類のダメな経験を持ってるんだけど、つながるなあって。思うようにならないよね。世の中無常だなっていう。永遠に続くものがないねーみたいな。そこをほんっとに肚落ちする実感として共有できるので、それ以上その人のことを知る必要なくて。うちこいよ、泊まれよ、山でも登ろうか、みたいな風に。あとの生き方は全部、諦めた感じの。明らかにみるとも一緒なんですけど。自分にとっての生きてきたよっていう気持ちと共に、その人と何をやってもなつかしいの。そういう関係性っていうのは、ま、人生後半で来るはず。そういう気持ちになれるように人生前半は野心に満ちて思いっきり、とことん自分に尽くして、ほんとうに自分に絶望・・・するって言い方は変か。ほんとうに最後の最後まで自分の可能性にかけて頑張ってみるべきだな。で、大成功して松下幸之助みたいになったとしても、ちゃんと「老い」というものがあって。目ぇ見えへんようになって、口も聞けへんようになって、入れ歯になって、ね。出物腫れ物ところ嫌わずでトイレも近くなっちゃって。思いついてた素晴らしいアイディアを産み出してた頭も鈍りはじめて。社長、そのアイディアこれでもう5回目ですけどと言われ、ガーン!とショックを受けたりして、滅んでいくわけよ。で、そのうち奥さんまでそうなったりして。老老介護とかをしたりしながら、こんなことするために生まれたわけじゃないって、きっと思うはずですよ。おれの人生これで終わるのかって絶対思うはずです。で、その時に、自信がなくなるの。どうしようっていう風にね、不安に迎えられるわけだ。もう時期終わりだなっていう。という人と向き合った時の、なんかね、共鳴する感じ。きみ、28?なかなかなかろう。で、きみが60になった時、おれはもうおりませんから。ああくにちゃんが言ってたのこの感じかっていう、そこで出会おうじゃないか」

 

佐川 

「えぇー、いないんですかー・・・・(泣)」

 

消えかけてるような命なのに。よくこんな細い命で出会えたねっていう、この値打ち、ありがたさが。

 

橋本さん 

「ぼくがTさんのこと好きっていうのも、アイラブ、じゃなくて。お互いよく、壊れてここまで来たもんだね、あと少し一緒に行こうやみたいな、そういう感じ。よう会えたもんだ、みたいな。会わずに終わるのも多いのにね。よくよくここ来てくだすった、みたいなね。なつかしーい感じがあるの。相手を愛して、ぼくの愛を感じてくれて、あなたに愛されて私は幸せだって言わせたいためではなくて。なつかしい、よく会えたね、会わなくてもよかったのに、って。消えかけてるような命なのに。よくこんな細い命で出会えたねっていう、この値打ち、ありがたさが。バーって光ってる人に別に会う必要ない、おれは。そんなに光いらんし。そんな輝いてる人に会わなくていいんですけど、枯れかけてまだ死んでないっていう人、道端で生きてたこと誰も気づかずに死んでいくみたいな、そういう状況っていうのが自分と重なるので。自分にとってはすごく、近いもののように思うんだね。で、それはミニカンとか円坐とか、縁坐舞台することで評価されてきてるし、ミニカン、縁坐舞台というのもそういう人たちと一緒にやるために整備してきている。プレイバックシアターとかはお葬式でできない。縁坐舞台、影舞はお葬式でできますからね。そういう風に変わってきている。もう参加者いなくてもおれワークショップできるようになってきた。その場所があればね。呼んだ人と、呼んだ人の心根があれば、ふたりでやれる」

 

佐川 

「ちょっと今、まだ全部は理解できないんですけど・・・」

 

橋本さん

「理解しなくていい。ぼくの言ってること、まーんまるのなんか、風のにおい、香りみたいなものが届いていると思います」

 

持続っていうのが壊れて、一緒に死んでいくんだね、みたいな。

 

橋本さん

「世界でもね、トップクラスのスピードで老人大国になりつつありますからね。空き家があふれてなあ。家どうするかっていう。社会問題としてはそこに関心がある。どうするつもりなのか。年寄りたちとかね、空き家のスペースとかみな、ああいう泣く泣く消えていくもの、どうするつもりなんだろう。みんな見えてないですよ。・・・それがおれにとっては、自分の中の消えていくものとか、死んでいくものをどう受け取っていくかっていう自分自身の課題と重なっているの。前は人をどう愛するか、なんで愛せないのかだったけど。同じ問題なんだけど、自分自身が枯れてきてるので、同じ問題が言葉変わってね、自分の死、消えていくのをどう了解しようかとか、消えてゆくもの同士としての相手との関係っていう。どう捉えようかと思って。もう相手に、これしてくれへんかったやんとか、お前のせいやーみたいなのは、だいぶ枯れてきちゃったんだね。だってねえ、もうすぐ死ぬ者にとって、怒るっていうのはあんまり意味なくなってきてるの。どうしてくれんねんとか、おれのおかげやろとか、ないことはないが、もう保てないの。ずーっと持つだけのパワーがなくて。それよりはようつきおうてくれたねとか、ようここまで一緒におってくれたね、みたいな。ええ塩梅になったわ、とかね。これ逆だよね。ずーっとこのまま続いていこうぜ、最後まで続く、なんだ。持続可能な組織、みたいなところにぼく自信持って仕事してきたんだけど、そこが枯れてきてて。持続しないから。持続っていうのが壊れて、一緒に死んでいくんだね、みたいな。なんつうのかな。そういう表現に変わってきた。若い時と、コアな情熱は一緒なんだけど。人間関係ってなんだ、よく生きてよく死にたいってのは一緒なんですけど。成長したいとかね。自分の体、自分の世界の変化によって、よく生きたいっていうのは、よく消えていけるのかなとか、いきいき生きたいっていうのは、死ぬのもいきいきできるのかなとか、成長したいっていうのは、すべての成長がおじゃんになってもまだ成長と言えるような成長があるのかなとか、そういう探求に変わってきたわけだね」

 

佐川

「その探求と人への関心がセットになっている」

 

橋本さん

「そうです。そうです」

 

佐川 

「ありがとうございます。ちょっと、わかりました」