ことばのおと 〜さがちゃんの生きてる記録

自分だけの仕事を探して農業したり、NPO勤めたりしたけどなにも見つからず。だったら、なんにもなれないまま生きてみようかと。

損してでもやりたいことー絵本『かさじぞう』から

 

かさじぞうの話が好きで、

うちでも読みたくて、最近アマゾンで買った。

 (あとはブログのネタにしたいな〜と思って)

 

 

保育所のころ、おゆうぎかいの出し物で、

6人目のじぞうさまの役をしたのが、物語に触れた最初だったと思う。

※じいさんがかぶってた笠をもらった地蔵の役

 

 

 

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(画像は『かさじぞう』瀬田貞二 再話 赤羽末吉 画 福音館書店 絵本よりお借りしました)

 

 

ここまでのあらすじ→ 

じいさんは笠を売りに街へ、しかし1個も売れなかった。

その帰り道、石のじぞうさまが吹雪にさらされてるのを見て、

不憫に思って自分が編んだ売り物の笠、ぜんぶあげてしまって、

あげく自分がかぶってる笠まであげてしまって・・・・

 

 

売り物あげるなんて、おまけに自分の雪よけの笠まであげちゃって

アホでは?損してるのでは?って、私の中のどこかが言うけど、

じいさんは、そうまでしてやりたいことやったんだから、

その意味において、損もなにもないんだよなあ。

その瞬間において、自分のやりたいことやっただけで。

 

むしろ、その時それやらなきゃ後悔したのでは?と思うと、

損という言葉の意味が、よくわからなくなる。

 

 

 

ばあさんもまた、いい。

じいさんに対する愛情みたいなもの、ひしひしと感じる。

 

かさをもってきたって、こんやのたしにはならないもの。

おじぞうさまにあげてよかったな。

 

雪の中よくぞ帰ったってじいさんに対する労いの気持ちとか、

ふたりとも1日を無事に終えていけるありがたさとか、

なんか、そういうのがいっぱい詰まっているように思う。

 

ある意味で、笠が全然売れなかったこととか、

その笠も全部、お地蔵さまにあげてきちゃったこととか、

ばあさんにとっては、どうでもいいことなのかもしれない。

じいさんが無事に帰ってきただけでよかった。

なんか、そういう感じがする。

 

 

まあ、心の中では、えー売り上げなしなの〜?とか

思ってるかもしれないけど、少なくともこの場では言ってない。笑

でも、それもどこかで言ってたらいい。

 

 

このふたりは、地蔵さまが翌日、

もちやら、さかなやら、こがねやらを置いてかなくとも

きっと幸せなんだろうなあ〜って思う。

ただ、それがあったから、

幸せがもっと幸せになっただけで。

 

 

 

そして私は「赤羽末吉さんの絵」がやっぱり好きだな。

どっかで展示会とかやってたら行きたい。

赤羽末吉さんの絵本をひたすら読みに図書館に行く日とか

そのうちつくろうかな。