ことばのおと 〜さがちゃんの生きてる記録

「自分」という場所で、起きたことを綴っています。

2年半、臨床心理士のとこに通った時間はなんだったか

 

大学生のころ、2年半、

とある施設のセラピスト(臨床心理士)のとこ通って

サイコセラピーで毎週1万円つかって

施設の他の講座も行ってたのあるから

120万以上かけたことになる。

 

 

この記事でいろいろ書いて、

思い出し怒りしたらすっきりしたのか、今ちょっと静かなところにいる。

sagawatomomi.hatenablog.com

 

自分の感情わかるようになったのは先生のおかげです!って感謝も、

私ばっかりアホでバカでダメダメだったわってムカつきも今ない。

そういうのからは、どこか醒めてしまった。

 

 

ただ、セラピー毎週受け続けた

私のあの2年半ってなんだったんだろうと

もう少し静かなところにいる。

 

 

これ、言い切ってしまうと

 

「なにをどう言えば、私は自分の感じてることを言い切れるのか」

 

 

をずっと練習していた時間だった。

 

 

 

自分の感じてることを言い切る練習。

これはずっと、的のイメージがあった。

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自分が感じてる何かが的の中心だとする。

どんな言葉で、どういう風に、どんな順番で言ったら

私は的のど真ん中を射ることができるのか。

 

 

私の感じてることは、これじゃないこれじゃない、

的には当たってるけど、これはど真ん中じゃないと

それはそれは痛々しくて、無残な姿を晒しながら、 

たくさんの時間と言葉を投じて、的に当てる練習させてもらった。

 

それは、自分の感じてることを翻訳するような感覚だった。

ええと、私のいま感じてることは、

地球語のなかでも、日本語でいうと何ていうんだ?

それをそばで、とにかく見ていてくれたのがセラピストのHで。 

 

Hは、私の言葉で、怒ったり、眠そうにしたり、

笑ったり、励ましたり、悲しそうにした。

私の発した言葉で、人はこういう風に反応するのか

ということも、そこでなんとなく覚えた。

私にとってHは、ある意味で語学学校の先生だったな。

 

 

2年半、毎週1回(多い時は3回も)

通うことになんの意味があるのかもわからず、

行きたくても行きたくなくても、義務のように行き続けた。

(自分に対してスパルタだったな〜)

 

 

ありがとうもムカつくも言って、

Hの顔もいま別に見なくていいし、

この記事も書き終えたとなると、

あの頃経験したことが、いよいよ終わる気がしている。