ことばのおと 〜さがちゃんの生きてる記録

「自分」という場所で、起きたことを綴っています。

文字起こしという、時間のスケッチ「尊厳を生きる」

 

これは「くにちゃんと一日過ごそう。の会」での

橋本久仁彦さんと、澤有理さん(会の主催者)のやりとり、

約15分間を切り取ったものです。

(↑ 先月の11月23日、名古屋市の長善寺で行われた会) 

 

 

と言っても

私の判断で一言削ったり一句補正したりしています。

正確な文字起こしではありません。

 

 

 

なので、これは私が読みたくて

そして描きたくて描いた

くにちゃんと有理さんのとある15分間の

時間のスケッチとしてお読みください。

 

 

 

 

 【佐川のまえがき】

くにちゃんの場にときどき参加し続けて5年経つけど、

近頃、場の参加者の方の年齢層が高くなってきたように思います。

これから何かをするぞ!(起業するとか、子ども産むとか)という方向ではなく

むしろ人生どうやり終えるかという方向に向かっているその人たちの中で

その場を一緒にさせてもらっている28歳の私はちょっと浮きます。

 

もっと若い人らとつるんだ方がいいのかな?

なんて、焦って思わなくもないけど

あんた、このまま浮かんでてくださいよ

なんて言葉をくにちゃんからもらって

あーもうどうしようもないな

まあまあ、これでいっか、なんて思ったり。

 

無理して沈んでいくよりも

浮かんだ場所で仲間ができたら、私はうれしい。

 

 

これは、くにちゃんと有理さんの時間を

私が切り取って描いたスケッチでもあるし

また、この時間を世に送り出すことが

私のカウンターパンチでもあるような気がしています。

 

 

公開を快諾してくださったくにちゃん、有理さん、

そしてこの時間を一緒に目撃した

会のお一人お一人に対して、ありがとうございます。

 

 

 

 

では本編、始まります。

 

 

 

 

「尊厳を生きる」

 

2018.11.23

名古屋市長善寺「くにちゃんと一日過ごそう。の会」にて

  

  

有理さん

先のお話で、「てにをは」まできちんと辿って相手の話を聞くっていうことと、相手がしゃべっている時に被せず最後まで話を聞くってことで、相手とコミュニケーションを取れるってことをおっしゃってたんですけど、普段会話してる時ってそこまで聞き切らないと思うんです。例えばその、ミニカンやりますよとか、そういう話を聞きますよって場だったら、そういう風にやるのかなと思うんですけど。普段実生活で普通の人と、特にそういうことを知らない人たちと話をする時にも、それは大切なことなんでしょうか?

  

 

橋本さん

うーん・・・どう思う?笑

 

 

有理さん

や、なんかこう話してて、あなたはそう思うんですねって受け止められても、ちょっと。なんていうんですか、例えばカウンセラーの人に自分の悩みを聞いてもらうんだったら、ぜひそうしてもらいたいなと思うんですけど、普通の時もそう聞くんだろうかって。なんかちょっと不自然な感じが私はしたんですけど。普段はどうしたらいいんでしょうか?

 

 

橋本さん

こう聞いていいですかね。有理さんが言ってるのは「てにをは」まで辿るということ、それは普段はあんまりやらんと。カウンセリングとかね、そういう場ならやってるだろうが。で、普段それをもし適用すると、今の言葉から言えば「あなたはこう思ってるんですねー」みたいな。それは有理さんからしたら、だからなんなんだ!みたいになる、ということですかね。で、問いは、普段もそうせよというような意味合いが橋本にあるのかということ、なのかな?

 

 

有理さん

普段もそうせよ・・・その、場としてつくられてた場合はそれでいいと思うんですけど、そうせよというよりは、例えばそうすることが、日常生活でコミュニケーションする時に役に立つのだろうか。最後まで聞いてもらって、そうなんだねって言われたら、こう、ボールを投げても投げても落ちてくみたいな感じがするように。

 

 

橋本さん

そうだね、はいはい、はい。有理さんはそう思ってるんだね、とかいうと。笑

 

 

有理さん

そうですそうです。笑

 

 

橋本さん

ぼくはそういう風に言う人は、最近歳とったから、こいつ、目突いたろかなとかって思うんですよ。目、突いたったら痛いとか言うわね。そういうの聞きたいからね。あなたはそう思うんですね、これ終わっちゃったね。だからなんなんだ!って感じだね。ぼくもそこ同感であります。なので、辿るという風に言った。辿るというのは、あなたはこうなんですねとは言わないわけだ。そのまんま聞くわけですから、すぐに反応が起こります。自分の中でね。辿って「てにをは」まで聞いたら、すぐ自分の中から相手に言いたい感じが湧いてくるので。丁々発止のやりとりが起こるの。で、共感的応答とかっていうのはその内容をさしてないので。終わっちゃいますから。あなたはそう思ってるんですねと、共感して終わるわけだ。目的が共感にあるから。共感ていうことをひとつやろうとしているので。共感的応答すんのはカウンセラーとか、教師とか、そういう人らだね。セラピストとか。日常で、うちの嫁はそんなんしたらね、激しい反撃にあいます。カウンセラー面するな!とかね。あの、手が飛んできますよ。ですので、ぼくが申し上げているのは「てにをは」まで聞いて、相手が何言っているかを確かに了解して、しかるべき反応をするということだ。で、それを試合と言ってるわけだね。

 

 

有理さん

おうむ返しをするってことではなくて。

 

 

橋本さん

おうむ返しではないです。

 

 

有理さん

相手の言葉を「てにをは」まで、ちゃんと自分の中に入れてから、自分の反応を返すっていう。

 

 

橋本さん

そうです。それ入れると、相手の言い分が入るじゃない。そんなこと思ってたんか?!とかっていう風にね。あなたはそう思ってるんですねーじゃなくてね。すぐ反応が出るために辿るわけです。ところが「てにをは」まで聞かない人いるわね。その人らはもうケンカする気もないわけだ。要は聞きたくない。相手に無関心だ、という場合「てにをは」を聞かないです。これ説明になってるかな。

 

ぼくに言わせれば、有理さんはそう思ってるんですねーっていう人は、聞く気がないね。距離を置きたいんだ。カウンセラーやセラピストは距離を置きたいのです。影響受けない、圏外に出たいわけだ。でないと治療できないからね。むしろ「てにをは」まで辿るっていうのは相手に取りつくことだね。あの、ちっちゃい子どもなんかでも、真似したりするじゃない。くにちゃんこれどういう意味ですか?って言ったら、(子どもが)くにちゃんこれどういう意味ですか、とかって。「てにをは」まで言われたら、腹立つー!と思うわけだ。あ、あなたはそう思ってるんですね、疑問があるんですねって言われたら、腹立たないが、距離取られて大人っぽいやりとりだね。子どもなんて言葉そのまんま真似してきますから、踏み込まれる感じがするね。「てにをは」までっていう意味は相手に踏み込むってことだね。

 

歌を歌うみたいなもんだ。自分の好きな歌とか、歌詞まで調べてそのまま歌おうとするじゃない。そしたら歌の、歌心みたいなんが入ってくるからでしょ。あれです。歌詞まで辿る。歌詞を全部変えずに辿るってことです。そうすると歌い手の気持ちになれる。その歌手が歌いたかったこと、歌って詩ですから。ちょっと同じ景色見るじゃない。

 

 

有理さん

はい。

 

 

橋本さん

それそれ!それ以外のものではないです。

 

 

有理さん

まず、相手と同じ景色を見るために辿るっていう。

 

 

橋本さん

そうです。で、相手と同じ景色見るためにですけど、辿っても辿っても見えないので、せめてその、一瞬だけでも見せてもらうためにね。相手はどんどん言葉変わっていきますから。その言葉もこう、変わりながらついていくということだね。

 

 

有理さん

例えばなんですけど、相手のいうことだけ聞いていると、分からないことをずーっと話してる人とかっていると思うんです。それって聞いてて意味あるのかなって思う時が、私はあるんですけど。そういう時も、一度その人が何を言っているかをきちんと聞くってことなんでしょうか。途中で切って、それってこういうことなの?っていう風に返していくってのは、あんまよくないことなんでしょうか。

 

 

橋本さん

よくないというよりは、その人との関係性に寄るね。ぼくも切りまくるから、人の話。聞きたくないので、最近。時間もったいないからね。そういう場合は切るわね。でも、自分のこと置いといてでも、その人のこと知りたいっていう時ってあるじゃない。そういう時にそうなるわけで、そうでない人とする必要はなかろう。電話きてね、なんかガス料金、電気会社に切り替えてくれればなんとかだの、それいちいち「てにをは」まで聞いてる必要ない。とか、なんか不動産売りませんか、マンション買いませんかとか来るじゃない。あのーその気ないのでって言ったら、お金のことならなんとかなる、いや気持ちがないのでって言ったら、いや分割でって、そんな話してないだろ!こら!みたいな感じになるじゃないですか。それ切らな。それ切るべきだ。なので、ケースによって、関係によって、ちがう。そうするのがよいっていう風に思うと苦しくなります。そういう何に対しても通じるよいというのは存在しないのです。それを存在するということで、ぼくらあくどいから商売したいような気もしますけど。もうこの歳になってわかる。そんなもの存在しないのです。よいのかんの外して、この人とかあの人とかに向かいたいわけだ。そうすると、この人にはこうしたいっていうのが、都度都度出てくるの。それもさっきの試合ってことだね。テニスの試合とか、錦織選手の試合とか見てたら、その都度都度、反応してるじゃない。こうするのがよいってのはないわけだ。そういうことが起こり続けるから。いちいち自分がどう答えるかという、毎回毎回新しいことなの。だからよいことってなくて、その人との関係で、私今どうありたいのかなーっていうことで、断ち切ることもあるし、もっと聞きたいっていう時もあるわけだ。

 

だからぼくら聞ける時はね、聞いてるのです。聞けない人なんかどこにもいないの。なんかみんな聞けない人かのように宣伝するから、聞けるようにならなくちゃって。それで商売するの。ぼくなんかは商売したかもしれません。聞けるようになりますよ、とかって。聞けないことを証明するワークとかがあるわけ。その手練手管があるの。ぼくそれできるの。それくらいぼくら欲しがってるんですよ。こうしたらいいっていうか、こうすると救われるんだっていうの。欲しくて仕方ないから、何したらいいのかなってね。いいっていうことわかりたいわけだ。でも楽だよね、わかると。こうすればいいんだってわかると。楽になりたくて仕方ない。で、楽になりたいっていうのは頭の世界、夢の世界だな。有理さんがいるっていうのは夢じゃない。ここにいるから。で、有理さんとの間で、聞く時は聞くし、聞かない時もあるし。

 

だからFBであんたが切り捨てた人(※)も、あれは切り捨てたというより、あれで始まりです。あれであんたがどんな人か向こうに分かりましたから。この後の向こうの態度によってはまた新たな関係始まるね。でも、あそこで書いてくれてありがとうっていう風によいしょしなかったから。ほんとの姿見せましたので。彼女だけじゃなくて、ぼくの方にも伝わってきた。彼女(←佐川のこと)にも!東京にも伝わってここに来たじゃないか。あのせいで来たんですよ!くにちゃんに会いたいせいじゃない。あんたがあの人切り捨てたので、どんな人だと思って来た。おもしろかろ?!力があるのです。あの、ああいう動き。あれほんとの動きだ。なので、あの時切り捨てたあれが、ぼくにとっては辿るということなんです。

※有理さんのFB投稿(とても個人的でセンシティブな内容)にアドバイスをしてきた人に対し、有理さんが「あなたのアドバイスはいりません、失礼です、二度と来ないでください」という旨を返したやりとりのことを指している。

 

 

有理さん

あれは辿れていた?

 

 

橋本さん

相手のいうことをよく聞き取って、相手の言っていることを了解した上で叩き切ったのです。だから痛快でした。

 

 

有理さん

話を聞かずにうるさいって言ってるってのとは違って、あなたはそうなんですねって流すわけでもなくて、聞いたうえで自分がどう在りたいかっていう。

 

 

橋本さん

そうですそうです。有理さんの言葉では尊厳とおっしゃった。私の尊厳というものを生きるためには。守るという言い方しましたが、実は尊厳を生きたいのです。唯一の尊い、自分というものを。あんた自分ではね、言わんかもしれないが、気がついてるんですよ。私はたった一人の存在だと。天上天下。だからこそ、その言葉は許せないのです。自分の尊厳として、切り捨てました。別に憎いわけじゃない。相手が土足で入ったからだ。出ろっていうのは当然だね。で、それに対して今度は向こうがどうするかまた楽しみなことでね。ここでぼくはほんとの関係が始まると思いますので。そういう風なことが起こる、それぞれの姿勢のようなものを「辿る」と言っている。なのでこちらも尊厳を大事にしました。同じく向こうにも尊厳がある。それ辿らしてもらうわけだ。尊厳と尊厳が対峙して、斬り合うなら斬り合うべきだと思います。誰に対しても共感的応答したらうまくいくなんてのは、ありえるか?多分、そういう地獄ができてますよ。みんなそこ行ってますから。みんなその世界へ行くの。みんな相手の話を聞きまくってる地獄、あると思わない?

 

 

有理さん

その、斬り合う覚悟みたいなのもいる?相手に対してきちんと向き合う覚悟っていうか、自分がどうありたいかっていうことの強さみたいなものも、求められるってことなんでしょうか。

 

 

橋本さん

自分がどう在りたいかという強さみたいなものも求められる・・・えーとね。どうありたいかってこれ、頭でしょ。頭で考えてるね。尊厳っていったのは、あれはどうだ。

 

 

有理さん

頭じゃない。

 

 

橋本さん

そうです。頭ではないのです。尊厳に説明はいらない。一寸の虫にも五分の魂だ。ちっちゃい虫でさえ、踏みつけられる時には上、キッと睨みつけますよ。そのあと、潰されたとしても。ぼくの理解ではね、残るのは、ほんとに残るのは、上を向いてキッと睨みつけた、その五分の魂が残るの。身体は滅んでもね。なぜかというと、キッと睨みつけて死んだその虫を見てた、仲間たちが影響受けるからです。あいつあんな死に方しやがったー・・・って感じで。それ残るの。一同にね。記憶として残ります。これは覚えることじゃない、忘れられないの。ほんとに起こった出来事だから。記憶ではない。だから知識でもないな。頭で勉強することでもない。圧倒的な事件なんです。全員が経験したわけだ。一人の人の死に方でね。尊厳てそういう種類のことに一応名前つけて、尊厳と言っている。尊厳、信頼、愛情、これらは言葉で一応、影のようにあるだけで、実態はね、頭では理解できないのです。

 

 

有理さん

ありがとうございます。

 

 

橋本さん

良い質問でしたね。