ことばのおと 〜さがちゃんの実験

触れたいものに触れる、食べたいものを食べる、一緒にいたい人といる。私の生きる、の実験の記録です。

やりとりさせてもらえることのありがたさ

 

厨房で私が流していた音楽に、ストップがかかった。

 

(音楽を流すようになった経緯はこちらから)

 

 

 

私でない別の従業員が、お客様に意見をもらったのだ。

 

「夜いるお姉さん、音楽をガンガンかけてるよー大音量だよー」と。

 

 

 

 

私は、がっかりした。

 

 

別に大音量だと言われるのはいい。

そう教えてもらえれば

あらっごめんなさいね〜の一言でも言って

音量を下げたり、一旦止めたりできるからだ。

 

 

がっかりしたのは

私ここに一年以上も勤めてるのに

そして食べに来る顔ぶれも変わらないのに

直接声をかけてもらえなかったことだ。

 

 

大音量だと思った人と、私のやりとりはなされなかった。

声をかけてほしかった。

ちょっと音、大きいよって。

 

 

なんだか見えないところから

ナイフで脇腹を刺されたみたいで

まだ今も血は流れている感じがしている。

 

 

 

告げ口されたみたいで腹立たしいけど

それ以上に、寂しい、かなしい。

痛みがある。

 

音楽を止めなければならないことも

その人とやりとりができなかったことも。

 

 

 

 

そんな嫌なかなしさいっぱいで仕事していたら

今日は音楽鳴らさないんですか?と

お客様に声をかけてもらった。

 

かくかくしかじかで、今止めてるんですよ

と話せる範囲で経緯を説明して。

そうですか〜と、やりとりがなされる。

 

本当にそれだけのことだったけど

それからちょっと元気になって

気分よく仕事をさせてもらった。

 

 

 

と、ここで

 

やりとりができるって、ありがたいことだったんだ

 

とハッとした。

 

 

 

私は当たり前みたいに

何かあったら声をかけてもらえるだろうと

思っていたけれど。

 

 

それと同じくらいに

声をかけない、やりとりをしない人というのも

それこそ当たり前みたいにいるのね。

 

 

 

 

 

 

 

今日、声をかけてくれたあの人の

当たり前はなんだったんだろう。

 

勇気を出して、声をかけてくれたのかもしれなかった。

わからないけど。

 

 

 

やりとりさせてもらえて、ありがとう。

うれしくて、ちょっと元気が出ました。